旅行・地域

2024年6月12日 (水)

近道を探そう。

意外にあるものです。長い間通っていた道が時間が半分以下になをました。それも三つ。

一つは下北沢への道です。北側を通っていたのですが線路の南側を歩いてみました。これがほぼ直線でいけます。北側が横にそれたりアップダウンがあったりして回り道なのに対して三分の一で行けます。

二つ目はスーパーへ行く道です。最寄り駅の反対側にあるのですかこれが少し外側を通ってみました。狭い道ですがありました。半分になる道が。まさしく抜け道という感じです。オーソライズされた道ではありません。一つ踏み越えないと見つからない道です。この道をすれ違う人と妙な憂鬱感?を感じるのはきのせいかてしようか。?あなたも見つけたんですね。

最後は梅ヶ丘のパン屋に行く道です。有名な寿司店の近くにあります。オーソライズされた道は羽根木公園を通る道か環七を下っていくかです。両方とも1時間近くかかっていました。何度かより短い道を見つけましたがさらにないかと探しました。ありました。羽根木公園のヘリを行くと直接そのパン屋の目の前に出る道です。

日常をブレイクスルーするとあつた感じです。

これもさんぶんのいちになりました。


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2014年3月 6日 (木)

ニシキヘビがワニ(クロコダイル)に勝利。

オーストラリアは野生が残っていますね。
BBCの映像です。
こういうの嫌な人もいるかもしれませんが。
http://www.bbc.com/news/world-asia-26413101
ヘビはまず巻きついて絞めて窒息させるようです。
それから口より大きいワニの体を飲み込みます。
消化するの大変そう。

食うか食われるかの世界ですね。

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2013年9月27日 (金)

横浜の兄の所に泊ってきました。

久しぶり、20年前以来です。
東急東横線渋谷駅を新しくなって
初めて利用しました。聞きまくりでしたが。
義姉とも話しができて。
身内の温かさを感じました。

最寄駅は覚えているかなと思いましたが
大分変った感じで少し迷いました。

とりあえず。

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2012年10月14日 (日)

多田行綱の鹿ケ谷の陰謀の密告は濡れ衣?

多田行綱は鵯越の坂落としを義経でなく攻めた源平合戦の功労者であり、鹿ケ谷事件後、後白河法皇を守って義仲と戦ったことなどから卑怯な密告をする武士ではないようです。

平家物語では武士で一人だけ加わっていたという摂津源氏の嫡流の行綱が清盛に密告しに行って後白河法皇の近従の西光、成親が捕らえられたという事件になっていますが、

この事件は平家物語で平家の驕りを象徴するものとして使われたようです。院と比叡山の対立が根本にあり明雲と対立している慈円の愚管抄でも行綱を密告者に仕立てたという事情もあるようです。行綱の先祖の満仲がかって密告したことがあることや頼政の裏切り等からまた頼朝に多田荘を没収され、追放されいなくなったので誰もそれに異議を唱える人がいませんでした

行綱は大阪大の川合康教授の「生田の森・一の谷合戦と地域社会」『地域社会からみた「源平合戦」』によると、平家の都落ちを決定づけた戦で鵯越の坂落としを攻めたのは義経でなく行綱のようで功労者の一人でした。なかなかの武士のようです。

鹿ケ谷の事件の後も行綱は京武者として後白河院の命で木曽義仲と戦っていて密告が事実であればできないことです。

追放された行綱は遠く天草まで逃げて、御所の浦島の港近くの小高い丘に、静かに眠っています。
http://recab.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-e535.html

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2012年5月29日 (火)

天草のイノシシ

福岡市で大きい猪が捕獲されたようです。
http://www.asahi.com/national/update/0527/SEB201205270022.html
ビデオを見ると暴れていますね。強そうで怖いです。
私の田舎の天草でも最近猪の作物への被害が多いようです。
天草だけで3千頭捕獲されたといいます。
http://www.amakusa.tv/newsinowana.html
去年帰った時、家で祭っている「若宮様」という小さい神社が
丘というか、小さい山にあるのですが、足跡が
ありました。夜行性のようですが、昼に現れた例もありますし、
ビクビクで長い棒を持って行きました。
私が小さい頃、あるいは10年前ごろまでほとんど聞いたことが
なかったのですが、増えているようです。
小学生の高学年のころ、友達と山の深いところまで
遊びに行ったことがあります。
当時はひらくち(毒蛇)が恐かったですが。
天草は海に囲まれていて、橋は繋がっていますが、九州本土から
泳いで渡ってくるようです。
牛深と鹿児島の長嶋が近いです。
こちらに地図があります。
http://www.sairosha.com/tabi/kyushu/usibuka.htm

このルートは多田行綱と郎党が天草にわたってきたのと
同じですね。

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2012年4月 7日 (土)

羽根木公園の桜満開です。

花冷えの寒い日ですが花見の人たちも。

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2012年3月18日 (日)

羽根木公園の梅が満開でした。

一か月間に蕾が出たあと寒い日が続き1ヶ月後に8分咲きになりました。

くもり空ですが、梅の花の香りが一帯にしていました。Photo

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2012年2月 1日 (水)

東京、全国の湿度、温度を知りたいときには

家にいるときは温湿度計を見ればわかりますが外出している時、
外の湿度を知りたいということはあることだと思います。
気象庁のアメダス(表形式)
http://www.jma.go.jp/jp/amedas_h/index.html
のページから見ることができます。
例えば東京なら関東地方の東京をクリックします。
東京の地図が表示されますので、東京をさらにクリックします。
http://www.jma.go.jp/jp/amedas_h/today-44132.html?groupCode=30&areaCode=000
このページが気温、湿度その他が1時間ごとに表示されるようです。
気温は都心のものですから世田谷、府中では冬は何度も違います。
気温はこちらで
http://www.jma.go.jp/jp/amedas/
各地域を選ぶとより細かく表示されます。

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2011年12月27日 (火)

天草御所の浦島の摂津源氏多田行綱夫妻の墓 若宮様

平家物語で鹿ケ谷の陰謀を清盛に密告したとされている摂津源氏の嫡流の多田行綱は源平合戦の一の谷・生田の森の戦いで鵯越の坂落としをして功労者とも言われていますが、頼朝に領地を没収されて追放され遠く天草まで逃げてきて、平家の落人と間違われ御所の浦島で人知れず、訪れる人もほとんどなく静かに眠っています。

私の故郷の町にある天草一の標高の山、倉岳(天草上島)から御所の浦方面の写真

http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/amakusa/kanko/kuratake/kuratake.html

写真の左上が御所の浦島です。島の手前が平瀬島

P5200005_2

といって私の今の実家の目の前にあります。

オチヨド鼻

P5220008_3

(地図にも載っています。)があります。平家の落人から名づけられた地名のようです。オチヨド鼻は実家から小さい湾があって500メートルぐらいですのでここにも行ってきました。家があるのは空家でその先には崖になってて行けませんでした。特に説明はありませんでした。今回は法事で帰ったのですが、羽田に前泊し6時20分の始発で福岡、天草と飛行機を乗り継いで10時に天草空港に着き家には10時半ごろ着きました。 御所の浦には倉岳町の棚底港から船の定期船が一日10往復しています。三角や本渡の途中で寄る船もあります。乗客がかなりいることになります。

棚底から嵐口までは20分ぐらいでした。嵐口では桟橋の近くに平家の落人多田行綱夫妻の墓の若宮様があると聞いていたので場所を聞いたら丘というか登ってみると30mぐらいのビルのような感じです。手すりはついていますが階段は急で大人でないといけないようなところです。地元のアイランドツーリズム推進協議会の方によると嵐口の西ノ崎の小高い丘は「ふるわんどん」と言われているようです。
下のほうにある

若宮様の案内の看板

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若宮様

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御所の浦ネット

http://www.goshoura.net/index.html

アクセスの天草宝島観光協会御所浦支部(御所浦アイランドツーリズム推進協議会)

に問い合わせますと多田行綱の墓に詳しい方がいます。

多田行綱は平清盛、源義経、頼朝との事件にも名前が出る武将です。

多田行綱年表

1177年 鹿ケ谷の陰謀を平清盛に密告(高校の日本史の教科書にも載っているようですね。)

1184年 一ノ谷の戦い 源義経

1185年 壇ノ浦の戦い

1185年 摂津多田荘、頼朝により没収追放

行綱は壇ノ浦の戦いの後も摂津にあってその後追われたようです。御所の浦では平家の落人となっていますが実際は元源氏だったようです。元源氏というより源氏の本家の人です。地元一ノ谷の戦いでは義経より活躍したという説もあります。

玉葉

http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/rekihaku-meet/seminar/etoki/truth.html

玉葉は藤原兼実の日記で客観的で当時の一級の資料と言われています。

源氏の系譜(下のほう)

http://www.tadajinjya.or.jp/nenpu.html

一の谷の戦いで活躍しましたが、頼朝に没収、追放されたことから

吾妻鏡からは名前が消えています。歴史的に抹殺された人かもしれません。

単なる卑怯者の密告者でない武将のような気がします。

800年前に一族郎党がオチヨド鼻付近をを歩いていたかもしれません。平安時代が急に身近に感じました。熊本は平安時代、平清盛が肥後の守で統治していましたので、土地勘があり、かくまってくれる人もいたのか、平家の落人が多いです。球磨川上流の五家荘等があります。

また私の実家は今でこそ天草空港ができて時間が短縮されましたが

空港がなかったときは熊本空港まで飛行機で行っても、朝出て夜着くほどで12時間かかりました。熊本市から天草に行くのが遠かったです。宇土半島から天草五橋を渡って

行っていました。さらに橋は私が中学の頃で来たのですがそれ以前は船しかありませんでした。小学生のころ三角に船でいったことがあります。その時御所の浦の嵐口に

寄ったことがあります。それ以来です。上陸したのは初めてでした。

九州新幹線ができて大阪から熊本まで3時間で行けるようになって、神戸などから

修学旅行で御所の浦に来ているようです。

私はこの調査資料を見て興味を持ちました。 ここにも詳しいです。

http://www.eonet.ne.jp/~koutaro/local/tono2.htm

御所の浦島は、景行天皇が九州巡幸のおり、訪れたことから

付いた名前のようです。下記の八代の項

http://www.geocities.jp/mb1527/N3-23-2keikoukyuushuu.html

私が育ったのは、この項の下にある宮田という村でした。

米を献上したことからついた名前のようです。

余談ですが羽田始発で行ったのは小中学校のころ毎週のように行っていたカサゴ(ガラカブ)を釣りたかったからです。午後が使えます。もっとも羽田に1泊しましたが。潮が満ちてくる時がいいので時間も調べて夕方1時間ほどで8匹釣ることができました。ガラカブは吸い物にするとだしが出るので、それを食べたかったこともあります。鯛は良く帰ると食べさせてもらうので慣れているのですが、カサゴは東京では新鮮なものは食べられません。自分で釣って食べられたので満足でした。

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2011年3月22日 (火)

東北関東大震災

この度の地震で被害にあわれた皆様には心からお見舞いとお悔やみを申し上げます。
私は仙台の東北大、青森の弘前大に行ったことがあります。
海沿いは通りませんでしたが緑の多い地域でした。
弘前では弘前城址の桜を見ることができました。
東北には桜の名所が多いですね。
http://senbonzakura.skr.jp/01sakura/hirosaki1705/hirosaki0701.html
また茨城には兄と姉の家族が住んでおり大きい地震だったと言っていました。
私は地震の時虎ノ門に行っていて渋谷についたときでした。
いままで経験のない不気味な揺れを感じました。
すぐ外に出たら普段の渋谷の倍の人がいました。みんな外に出たようです。
電車が止まっていたので歩いて帰りました。
渋谷から井の頭線にほぼ平行の淡島通を歩き
環七に出ました。途中からやや南に行き若林まで出ましたが。
茶沢通りで下北沢に行ったほうが良かったかもしれません。
もう少し近道があると思います。2時間かかりました。
クライストチャーチで地震があってすぐになりました。

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